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ヤマアラシのジレンマ、スープの冷めない距離がいい


ヤマアラシのジレンマ、ある冬の寒い日に一組のヤマアラシがお互いに身体を暖め合っていた、ところがお互いの棘が刺さり痛い、でも離れると寒い

こうしたことを繰り返しているうちに痛くもなく、寒くもない距離を見つけていくという、かって心理学の本で読んだ印象深い寓話である。

確かこのヤマアラシのジレンマは、後に、フロイトの世界へと導ぴかれていったと記憶している。

考えてみればわれわれはみなヤマアラシだと思う。自己を守るためにいろいろな見えない棘を身につけている。

人によってみな棘が違うから、お互いの距離を見つけるために、何度も棘を刺し合うことになる。

ばらの花を象徴して、美しいモノには疎があるなどと言われるが、棘がすっと抜けた時はそれほど痛くもなく傷もすぐ癒える。
すっと抜けた時は気持ちよく、違和感が解消したさわやかな感触さえ残る。ところが疎が中に入ってしまうと、本当に小さな疎、こんな棘でどうしてと思うほど痛い。

そして一度入り込んでしまった棘は、棘の入っているところまで口を開いて、それから掴みとらなければ抜けない。ひどく後まで痛みが残る。
もしこの棘をそのままにしておくと膿んできて、下手をすると致命傷となる。

人間は常に誰かを傷つけ傷つけられて生きている。一人では生きられない生き物が、人のぬくもりを求めて求められて、傷つくことが解っていても、死ぬまでこの葛藤を続けていくことになる。

愛しているのに傷つける、愛しているからこそ傷つけるというべきか、いずれにしても棘の痛みに似ている。そして愛が深いほど傷も大きく、憎しみも大きくなる。
いわゆるアンビバレンス、愛憎背反である。

棘を抜いた後の傷をどう癒やすか、それは自分自身の人を憎むというとらわれから自分を開放してやることだと思う。

まるで傷つくことを畏れているかのように自分自身のこころに壁をつくり、自分を出さない人間がいる。

自分のこころに壁をつくることが、自分自身を傷つけていることに気づいてないのかも知れない。

なぜならそれは畏れから逃れるという、常に不安と同居した精神状況をつくることになり、決して平穏なこころの状況ではないからである。

夫婦、親子、兄弟姉妹、友人、親戚、知人、上司部下、師、そして男と女、男同士、女同士それぞれの人間関係の中に自己、自分の存在がある。

そしてすべての関係において一組のヤマアラシのカップルに象徴される、傷つけ合うことのない、ぬくもりの感じられる距離というものが求められるのであろう。

ヤマアラシのジレンマ、言葉を変えてヤマアラシの愛の教訓は、個対個ばかりでなく、集合体と集合体との間にも相通じる。

愛憎背反劇のさいたる舞台が家庭にあるなどと言ったらおこられてしまうだろうか。ここには人と人とのあらゆる関係のパターンが凝縮されたかたちで存在している。

そうした個対個の関係がお互い自己主張し合って自己の存在を確立している場である。

ヤマアラシのジレンマの日本版、かどうかは解らないけれど昔から日本人に慣れ親しんだ表現に、スープの冷めない距離、という言葉がある


ヤマアラシのジレンマが個対個の心理的距離を強調するのに対し、スープの冷めない距離という表現には、物理的な距離から生まれる人間関係という意味あいが強い感じがする。

誰が言ったのかは知らないけれど、言い得て妙なる表現である。日本人らしく表現するなら味噌汁の冷めない距離になるのか。ただこれでは何とも語呂が悪い。

このスープの冷めない距離に住む人間とのつきあいは、会いたい時にいつでも会える安心感、そんなものがある。

それでいて常に顔を合わせていないということの新鮮さ、そして煩わしさがないというよさがある。

愛憎背反劇の舞台が家庭であるなら、特に二世帯同居というテーマを考える時、このスープの冷めない距離をどうつくるかが二つの家族の運命を決することになりかねない。


特にお互い離れて暮らしていた二つの家族が一つ屋根の下で暮らすということはかなりの覚悟が必要となる。

一つの家庭の中だって嵐が吹くのだから、何をか言わんや、である。

せっかく二世帯同居の家をつくったものの、別々に暮らしていた時の方がお互いよかったなどというケースは意外と多い。

無理して生活を続けると人間関係は益々悪化してくる。そのうち顔を見るのも嫌になってくるかも知れない。

反対に何だか気を遣って遠慮しながら暮らしていることに耐えられない、もうストレスの限界だなどということもある。

毎日楽しく、とまでは言わないけれど、少なくとも一緒に暮らすことがお互い違和感を感じずに暮らせる住まいをつくりたいものだ。

スープの冷めない距離の人間関係を、どう一つの家の中につくっていくか。そしてお互いの家族がどの程度の距離をつくりたいと考えているのか。

お互いが妙に世間体を気にして、仲のよい嫁姑を演じて二世帯の家をつくったりしたら、これは最悪である。

個対個でも同じことが言えるけれど、この場合はそれぞれの家族の違いをお互いが明確にすることがまず必要だと思う。

そして同居の目的が同じ空間で一緒に暮らしたいと双方が考えていた場合を除いては、見かけは一軒でも中に二つの家をつくるくらいの発想にたった方がよいのではないだろうか。

お互いが伴に生活するという、純粋な気持ちで同居したってうまくいかないことがあるくらそして、そうした精神的ゆとりはないだろうか。

まったく生活を独立させた二世帯住宅を二世帯住宅と呼ぶのか、それならつくらない方が良いという意見もあろうかと思う。

しかしながら、家族とはしかじかこういうもののはず、というしめつけが、家族を崩壊に導いていると言ったら言い過ぎだろうか。

二世帯住宅に限らず、一つ屋根の下に暮らしながらも自分を客観的に見つめられる精神的ゆとりが、家族に対する思いやりを生むと思う。

そして、そうした精神的ゆとりは、お互いの適正なこころの距離がつかめた時にできるのではないだろうか。


1997年9月
若林礼子
「夫婦の生活実感でつくる家」の一文です。若林礼子は2008年9月に故人となりました。



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