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人は自分のためだけには生きられない
家づくりも同じ
生涯喜びに満ちた人生。
何とも輝かしい言葉だが、現実的にはありえない。
楽しいことは一瞬で、苦しいことや面白くないことの方が多い。いきいきしているのもつかの間で、重たい気分の時間も長い。
お金があれば幸せかと思えば、お金持ちでも悩みや苦しみは尽きることはなさそうだ。
こう考えると、人生の価値は薄れ、生きていても仕方ないと暗い気持ちになる方もいるかもしれない。
そんな暗いことを言いたいわけではない。
人が自然に、あまり意識しない、それでいて心の底でほのぼのとした感情を得られるのはどんな時であろうか。
瞬間的な感激、うれしさ、喜びとは違う、無意識的ではあるが、長続きするいい気分といった感じだ。
日常を支える奥底にある安定した気分、感情、それは、穏やかな持続する喜びとも言える。
その前に、苦しさ。
日常的な毎日の生活で考えれば、
苦しさの多くは、
自分の思いが通らない時、
自分の考えを譲れない時、
自分の感情が抑えられない時、
自分が理解されていないと感じた時、
自分が誤解されていると感じた時、
自分が愛されていないと感じた時
・・・・・・・と無限に続いていきそうだが、
ここに共通しているのは、
「自分」が主人公になっているということだ。
自分が中心、どうもこれが苦しみの正体なのか。
人生は自分が主人公なのは、誰にとっても当り前のことだ。
それなのに、といった感じだが、
人間の苦しみは、ここにあるのかもしれない。
全員が主人公の芝居などありえないのだから。
でも、人生劇場の登場人物は、全員が主人公。
当然、主人公同士がぶつかってしまう。
ここに苦しみが発生してしまう。
こんなことが日常生活では、いつも当り前の如く、普通に起こっている。
では、どうしたらいいのだろうか。
自分は主人公、これは重要なことだ、自負心と自尊心は生きる力の一つでもある。
芝居で考えれば、主人公は一人か二人。
人生劇場では全員が主人公。
であれば、芝居と人生劇場の主人公は違う種類のものになるであろう。
芝居の主人公は、観客から見てのもの。
人生劇場の主人公は自分から見てのものだ。
この差は大きい。
人生劇場の主人公は、自分でその役割を割り振れるという事だ。
目立つばかりが主人公ではない。
強いばかりが主人公ではない。
かっこいいばかりが主人公でない。
優秀なばかりが主人公ではない。
・・・・・これも無限に続く。
自分という役割分担は人の数だけある。
多くの場合、芝居の主人公に魅かれたり感激したりするのは、その主人公が自分のためではなく、愛する人のために、仲間のために、まわりの人のために、国のために、人類のために生き死んでいるからだろう。
これは自分が主人公の人生劇場でも変わらない同じ原理であろう。
人は自分も大切であるが、それでも、人のために自然に無意識的に動いたり生きたりする、そこに生き甲斐と喜びを感じる生き物でもある。
しかし現実には、そのようには、動けない生きられない自分に、社会に、環境に不満と苦しみの原因が多くありそうである。
そうしたことに気づくことも苦しみからの脱出の第一歩であろう。
実は、仕事も同じだ。
仕事が、自分の生活費あるいはお金を稼ぐことだけのものであれば、仕事に喜びは感じない。そこに生き甲斐はない。
成績の優劣を競わせて、見せかけの、一時的やる気や喜びを感じさせる仕組みもあるが、所詮は、出世競争のむなしさが残るばかりであろう。
自分の成績さえよければ自分の会社さえよければでは、やはり、長く続く喜びは得られないであろう。
よく言う例え話であるが、
同じ会社で、身体に悪い食品を製造販売し、それを治療するという薬をつくり売る。さらには、その薬の副作用でおきた体調不良に対するサプリメントを売る。
いわゆるマッチポンプ型で繁盛する仕組みが、現代の大企業には結構多い。
こうした仕事で会社は伸び、高給をいただいても、心の奥底では安定した喜びに包まれることはないだろう。
人生そんなものさ、というあきらめに近い似非悟り気分で、生涯を過ごしてしまう方も多いことであろう。
何が本物か、それを断言することはできないことだろうが、
少なくても、悪循環の始まりである、身体に悪い食品をつくったり売ったりすることを止めれば、ずいぶんと、人の心の奥底は楽になるであろう。
原発がいいはずはないのに、経済を振りかざして存続させようとする論理と同じで、なくなりはしないであろう。
人の心も、ある意味では良くできたもので、目先のために心の奥底にある感情を押し殺したり、忘れたり、あるいは多くの場合、気づかせなかったりする。
それで当面、心を麻痺させ楽に生きられるかもしれないが、どこかで心の叫びが勝てば、苦しみは倍返しだ。
家づくりも、そんな巨大な矛盾を抱え込んでしまった状態だ。
せめて、流れる空気の住まい、PAC住宅は、そうした矛盾からは逃れて、建て主が主役で、携わる人間も、心の底から喜びと生き甲斐を得られる家づくりをしたいと思っている。
2013.10.15 田中慶明
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