犬と暮らす

犬族になったのはk

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小学生のころは、十姉妹と文鳥を飼っていた。その後30近くまで動物が生活に入ってきたことはなかった。そのころ若林と知り合った。
レオというアメリカンショートヘアのオス猫が若林の同居者であった。初めて身近にきた猫であったが、別段嫌いでもなく好きでもなかった。若林の側に猫がいてそこに私が加わったという感じである。
若林は馬鹿がつく動物好きである。ある日、一緒に会社近くのペットショップでポメラニアンの子犬を見た。とても快活で元気な子犬であった。その子と私の眼があった。その瞬間に買っていたのは何と若林ではなく私であった。
アキという名がつけられて家族となった。ほどなく、渋谷を散策している時やはりポメラニアンの子犬と出会った。瞬間、「アキの友達にいいね。」と私の発言。こうしてケイという名の家族が増えた。
その約一年後、新聞で耳が蝶のような珍しい犬が紹介されていた。今でこそパピオンは当り前となったが、当時は初めて聞いた犬種であった。早速、見に行った。ユイという子供が増える瞬間であった。
こうして、レオという猫の長男を頭に、長女のケイ、次女のアキ、三女のユイとの時々の生活が始まった。レオは21年の超寿命、三人娘は小型犬としては短命でそれぞれ12,3年程度の生命であった。
3人の娘たちそしてレオを最後見送った後、しばらくして、柴犬のゴンを迎えた。女の子であったがゴンと名づけた。とてもきかない子で日本犬独特の独立精神を強く持ち合わせていた。ゴンとの生活時代は私と若林、そして若林の母親の三人の暮らしが始まっていた。
ゴンが来てから1年ほど、私がゴンと散歩している最中に緩めていた首輪からゴンが抜け出し、行方不明になった。1年も生活をともにしていたのに、いくら呼びかけても手元に戻ることはなく、消えてしまった。若林と二人一晩中探し回り、交番にも届けたが、翌朝、交番のおまわりさんから悲しい電話が入った。環七でトラックにはねられた無残な姿のゴンを発見し連絡してきたのであった。
家づくり講演会の当日の朝であった。とてつもなく辛い思いで講演会をこなした。
その年、私の父親がそして若林の母親が他界した。
ゴンが逝ったあと、私たち二人ばかりではなく若林の母親も深く落ち込んでいった。その傷跡を埋めるのはやはり犬しかない。ということで豆柴というふれこみのピピがきた。その後数ヶ月して母親はこの世を去った。
今度はピピが自閉症となった。そのため快活な柴犬の子犬 もも が来た。こうして犬たちとの新生活となったが、暮らしの流れを大きく変えたいとの思いを若林ともども強く持つようになり、現住まいである尾山台の家の計画がスタートした。
そして尾山台に引っ越す当日、甲斐犬のカイが家族に加わった。気づいてみると、若林ばかりか田中も犬馬鹿族になっていた。(2008.3)

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