家づくり どこで建てるか 誰と建てるか いつ建てるか

     そしてどんな家を建てるか 20回シリーズ

 

 


1.どこで建てるか 誰と建てるか いつ建てるか はW-meaning

 

家づくりにおいて「どこで」と「誰と」そして「いつ」は重要なキーワードだと思う。

今どきは一人暮らしの方も多いが、ここでは家族と暮らすことを前提とした家づくりの話にしたい。

「どこで」は、「建築場所」と「どの工務店で建てるか」の意味がある。

「だれと」は、「その家で一緒に暮らす人」と工務店という組織ではなく家づくりに関わる具体的な人々」を示す。

「いつ」は、「今建てるか来年かという具体的な建築時期」と「子育て中か定年後かといった世代論」がある。

極めて当たり前のことだが、その持つ意味合いはとてつもなく大きいだろう。


「建築場所」「どの工務店で建てるか」「その家で一緒に暮らす人」工務店という組織ではなく家づくりに関わる具体的な人々」「今建てるか来年かとい

う具体的な建築時期」「子育て中か定年後かといった世代論」これらが微妙に絡まって、家をつくるという作業を複雑にしている。

家づくりは当然大きな資金が掛かるが、どのくらいの資金が用意可能かは、「いつ」というキーワードに関係してくることが多い。

社会に出たばかりの新人よりも退職金を手にした団塊の世代の方が資金をより多く用意できるだろうし、親からの相続世代も資金は用意しやすいだろう。

それは建てる工務店選びにも影響するだろうし、家そのものの内容にも大きく関係することになる。

また住む場所の自由度も、子育て中の世代よりは定年後の世代の方が融通性は高いだろう。これはそのまま土地代金が場所によって極めて異なるという日本の地域格差の問題にまでつながってしまう。

そう考えると「いつ建てるか」というキーワードの持つ意味はとても大きいと思える。私自身もこの原稿を書いている現在は67歳、サラリーマンではなかったので定年という枠には当てはまらないが、PACという家づくりを29歳のときからしている経験、同時に自分自身の住まうという体験から、これまでの観点とは少し違うポイントで家づくりについて考えてみたい。

おそらくまとまりのない雑談のような話になってしまうと想像するが、それなりに少しは家づくりに参考になる、お役に立てる部分も多少はあると思うので、お付き合いくだされば幸いです。

 

 

 

2.家づくりを真剣にとらえると人生観の整理ができる

 

家づくりは大変ではあるが、それだけに得られることも多い。もちろん家づくりを真剣に捕らえればという条件付だが、大きなお金が必要となるので真剣になるのが普通であろう。

家づくりの前提は、自分の家を持つということになるが、一方で生涯、賃貸住宅を選択する方も最近は多いと聞く。

持ち家にするか賃貸にするか、ここでも人生観が問われそうだ。私は家をつくるという仕事柄、当然、自分の家を持つという方とのお付き合いがほとんどだが、これからの時代、お金にゆとりのある方でも、賃貸で暮らしたいという方も増えていくのかもしれないなと思っている。機会があれば、賃貸住宅でも健康に快適に暮らせるPACなりのノウハウを提供したいとは思っているが、それは次のテーマとして大切にとっておこう。

 

私たちは日常の忙しさにかまけて、なかなか人生の本質的なテーマを考えようとはしない。「何のために生きているのか」「誰と生きていきたいのか」「長寿と健康とは」「家族とは」「お金を何に使うのか」「楽しく生きるとは」・・・

考え出したら結論のないようなテーマだ。

家づくりは、そんなテーマに心を向けさせる。これは家づくりのもっとも良いところの一つだと思う。大人になってから若かった青春の一こまを味わえるかもしれない貴重なシーンとなるだろう。

家づくりは、「親と子」「妻と夫」「男と女」「ともに暮らす人」「隣人と地域」「年齢と仕事」「病気や健康」「収入や保険そして年金」「贈与や相続」などさまざまなことが関係してくるし、いやでも考えさせられてしまう。

そして「自分の人生に思いをはせる」ことになる。「何のために生きてきたのか」「誰のために生きたいのか」「これからどうしたいのか」・・・。

考えようによっては重苦しいテーマだし、逆に、あまりにも当たり前の簡単なテーマかもしれない。

家づくりをしようと考えている方は、いろいろな意味で人生の荒波を乗り越えるのが上手な方が多いし、様々なご苦労をこなされてきた方が多い。実際に、そんな方と多く出会い家づくりをさせていただいてきた。

どんなことでも、心の持ちようで何とかはなるし楽しくもなる。家族の一人が、そうした心持を保てれば、不思議といい影響が家族全体に及び心理的に良くなっていく。心理的に良くなっていけば他の面にもその良い影響は及ぶ。

家づくりはそんな良い影響の伝播の大きなチャンスなのかも知れない。

 

 

 

3.これからは住む場所も大きなテーマ

 

これは仕事の第一線を退いた世代が頭にある。お金も時間も家族関係もある程度余裕がある人たち。

これまでの時代は、住む場所は考えなくても決まっていたし、変えたいなと思ってもそんなに自由度はなかったかも知れない。

現在は心理的にもとらわれないで、暮らす場所を選べるような背景が多くなっているとも思える。

住みたい場所によって、戸建なのかマンションなのか、場合によっては賃貸なのかが決まってくる場合もある。銀座の真ん中で戸建はないだろうし、私は現在駅20秒の賃貸に暮らしているので、その立地を望んだとしたら持ち家やマンションを探すのは都心部では困難だろう。

私は物心が付いてから、戸建が5ヶ所、マンションが7ヶ所、アパートを2ヵ所、寮を1ヵ所あまり経験している。場所は東京と大阪 。その内賃貸はアパートと寮を除いて戸建2ヵ所、マンション1ヵ所。

住んだ家の環境も広さも質も様々なので、この健康住宅の仕事をする上で偶然ではあるが結構役に立っていると考えている。

話は若干ずれたようだが、住みたい場所は人によってずいぶんと違う。

田舎暮らしをしたい人、都会暮らしをしたい人。山派、海派。東京圏とか関西圏。出身地。国内、海外。

その気になれば自由に羽ばたける時代だ。年齢を重ねることで考え方が広がりゆとりもあるので新しい住まいを通じて第二の青春に挑戦することができるかもしれない。

なんとも夢の広がる話ではあるが、若いころからよほどやりたいことがあるとか、自分自身の思いがしっかりと定まっている、とかではないと、一度踏みとどまってよく自分や家族を見つめなおした方がいいだろう。

歳をとってからの妄想では大きな怪我をしてしまう。

住まいや暮らしは、ひとり暮らし以外は必ず相手がいる。自分自身の思いに迷いはないとしても、それだけでは動けないものだ。

自分とパートナーとの関係を改めて見直し構築しなおす必要があるのも、住む場所というテーマに潜んだとても大きなさらなる課題であろう。

ちなみに私は、できうる限りパートナーの思いに副いたいと願っている恐妻家 ? 愛妻家 ?である。

 

 

 

4.誰と建てるか ?  そんな当たり前のこと・・・

 

ここでは誰と暮らす家を建てるかというテーマで話をすすめたい。

何と当たり前の事、馬鹿げたテーマだと感じられる方がほとんどだと思う。

配偶者、子供、親など身内と暮らす家に決まっている。

確かにそのとおり、考えるまでもないこと。家族の幸せのために家はある。

では家を建てて本当に家族は幸せになるのだろうかと設問を変えてみる。

家そのものはどこまでいっても物でしかない。

ただ極めてお金のかかる物ではあるが。

「家さえ建てれば家族は幸せになる。」それは、「小遣いさえ与えておけば子供は幸せになる。」との問いと変わらない気がする。

小遣いの与えすぎでだめになってしまう子供はたくさんいる。

家づくりを始めたが故に、だめになってしまった夫婦関係は結構あるし、親子の関係もご多分にはもれない。

家も小遣いも悪いものではないし必要なものだ。

家さえ、小遣いさえ・・・この「さえ」に問題がある。

「小遣いを与える」と「小遣いさえ与えておけば」は意味合いが異なる。

「家を建てると」と「家さえ建てれば」もずいぶんと語感が違う。

「さえ」が語尾に付くととたんに寒々とした空気が流れる。

夫婦関係、親子関係はなくてはならないものだし素晴らしいものだ。ただそれがあって当たり前と感じるようになってくると、有り難味が薄れうっとうしくも感じてくる。時間の経過とともにそういう感情が芽生えるのは誰しも経験していることだろうし、それが人生と言うものかもしれない。

マンネリの風が吹くということか。

どんな事でもどんな物でも普通のこと当たり前のものと感じられるようになってくると、どうもマンネリの風が吹くようだ。マンネリの風が吹くと感激もなくなりすべてが色あせて見えてしまう。毎日普通の時間が経過するのがつまらなく感じてしまう。人間のサガと言ってしまえばそれまでだが、そこで一踏ん張りして欲しい。

当たり前のこと普通の事がいかに素晴らしいかは、何か事故や事件、大病を体験すれば誰でも思うことではあるが、その素晴らしさを日常の中で感じられたらそれこそ最高だ。

家はその日常の舞台だ。家づくりは非日常的なことであろうが、つくられた舞台では日常の暮らしという超ロングランの舞台が展開される。

家族という役者とどのような人生をこれから織り成していくのか、家づくりはそうした人生の根底にある当たり前の事をあらためて見つめなおすチャンスでもある。

 

 

 

5.失敗しないために誰と建てるか ?

 

今回は工務店の話。家づくりは3回しないと・・という迷言があるが、これは業界にとっての都合のいい話に思えてしまう。

何でも経験するに越したことはないが、家づくりに関わらず、この迷言はすべてに当てはまってしまう。

例えば、結婚は3回しないと・・とか、大病は3回しないと・・ 挙句の果ては3回死なないと・・みたいなに。

どんなことでも失敗はつきものであるから、失敗しても大丈夫、心配しないで前に進もうという意味で3回と言われているのだろう。そのとおりとは思うが、なるべくならば修正可能な範囲での失敗でありたい。

話を家づくりに戻すと、家づくりは大金がかかる。3回も失敗が許されるだけの資金も寿命も与えられていない人が大部分であると思う。

であれば失敗しない家づくりはどうしたらいいのだろうか。

まずは、共に生きていきたい、一緒に幸せになりたいと願っている人との家づくりであるということを確認して次のステップ。

次は当然、家づくりの相談をどこの工務店にするかという意味で、誰に相談するかであろう。これが簡単なようで難しい。

はじめは住宅展示場を見るから始まっていろいろと書籍をあさるというパターンが一般的だ。もちろん重要なことだし必要なことだ。自分で勉強しなくて納得のいく満足できる家づくりができるとは思えない。

しかし、家づくりの勉強となると幅も広い上に奥行きも深い。勉強して極めようと思ったならば時間が足りるとは思えない。分ったつもりになっても実際は抜け穴だらけとなる。それでも自分で勉強した方がいい。

家は生活の器である。であれば真っ先に勉強しなくてはならないことは、自分の生活だ。自分の生活を勉強するというのは変な表現にも思えるが、自分と一緒に暮らす家族の生活を十分理解していないことには、家をつくるという作業はできないはずだ。なんといっても家族の生活の器なのだから。

これから繰りなされる生活の様子。家族の性格や体質。家族の距離感。家族と暮らしていく時間。自分と家族の関係。そして変化していく様。

家づくりはこうした普段はあまり意識してこなかった自分と家族の私的な事柄をじっくりと見つめることが前提となる。

そして、その極めて私的なことを間取りや使う材料、家をつくる工法そして資金などに落とし込んでいく作業が家づくりなのだから、相談できる相手かどうかは、そうした私的な生活をオープンにできる相手かどうかという判断が真っ先にあるのだろう。

 

 

 

6.プロといっても知らないことの方が多い

 

家づくりは幅が広く奥行きも深い。この道何十年というプロ、例えば建築士でも職人でも建築関係の学者でも誰であれ知らないことの方が多い。こんなことを言っている私もまったく同じだ。40年近く家づくりに関わってきているが、情けないほど知らないことが多い。

家を物ととらえれば、40年もやっていればそれなりの知識はつく。失敗も散々したし勉強もそれなりにはしてきている。物質としての家であれば、何とかはなる。

しかし家を生活の器ととらえるならば、分ったとは言いがたい。

生活の器を分ったということは人間を分ったということに等しい。そんなおこがましいことは言えない。

では家づくりのプロとはなんであろう。

建築関係の法規に精通している、設備や材料に詳しい、デザインが上手、耐震工法に精通、腕のいい職人など、家づくりを生活の糧にしているという意味でのプロであれば、とてもたくさんのプロがいる。

家づくりの難しい所は、家を物ととらえても形にするにはジャンルの異なる技術を総合的に駆使しなければならない。家づくりに関わる工法や材料、設備は多岐に亘る。そして新しい物が次々と生まれている。これらすべてをトータルに常に分っているのはなかなか大変なことだ。実際にはできないと言っていいだろうし、仮にそんな人がいたとして、いい家ができるとは言いがたい。そんな頭でっかちの人には生活の器づくりは到底無理だろう。

家づくりは総合的なものだ。

総合とはいろいろのジャンルのものを一つにすること。家づくりは素材、工法、間取り、デザインそして建て主の生活や感性を資金の範囲でまとめあげる総合的技術である。

無限にも広がってしまいそうなこの総合を家族の生活というキーワードでまとめあげる、その切り口を統合といえば理解しやすいかもしれない。

家づくりは総合的で統合的なものである。

生活の器に何を求めるか。

この何がキーワード、切り口すなわち統合的要素、それに従って総合的な技術を資金内で駆使するということだろう。

私は40年近く、健康というキーワードで家づくりを構築してきた。

住まれる方の健康そして建てた家そのものも健康にという切り口だ。その目的のためにPAC住宅は生まれた。パッシブエアサイクル住宅の略であるが日本の健康住宅の走りである。元祖健康住宅と威張っても嘘ではないと密かに自負している。

 

 

 

7.漫然と家づくりをしたら結局は後悔する

 

何となく深く考えずに家を建ててしまう。大金の掛かる家づくりでそんな人はいるはずもないと思いたいが、現実は多そうである。

家づくりのきっかけとして「営業マンが気に入ったから」という答えが多いそうである。すべては人から始まるというから、何かとてもいい答えのように聞こえるが、実は、こうして家を建てた人は後悔している方が多いのではと思っている。

家づくりを真剣にとらえれば「営業マンが気に入ったから」では何か心もとない。

こうした家を建てたいという具体的な思いが希薄であれば、そしてコストがあえば会社の名前と感じのいい営業マンで決定となる確率は高い。

家づくりの輪郭がはっきりしないまま、必要性や願望に任せて建ててしまった結果、後悔している例は結構ありそうだ。

そんな漫然とした状態で家づくりを進めてしまわないようにしたいものだ。

私たちの家を求められる方は、アレルギーとかアトピーに悩まされて方が家族にいるという例がかなりある。

こうした方は、家づくりの目的が明確になる。アレルギーとかアトピーが住環境と関係していると理解しており、一所懸命に勉強された結果、PAC住宅にたどり着いたとの話はこれまで随分とあった。

夫婦や親子の距離感の問題からPACに来られた方も少なからずいる。

ビルの谷間でも自然エネルギーを生かした家づくりをしたいと来られた方もいる。

また海の側だから、田んぼの中だから、山間だからなど立地条件を考えて、との方もいる。

たまにしか行かない別荘だから、との理由もある。

土地が小さくても何とか広々とした家を求めて、との方も。

いづれにしても家づくりの課題がはっきりしていて、乗り越えなければいけない事が明確であるほど、勉強はしやすい。

真剣に勉強すればするほど、表面を取り繕った飾り文句に惑わされることは少なくなる。

現実の自分たち家族の姿が見えてくる。

それにふさわしい家づくりを具体的に模索することも可能となる。

ムードに流されたり雰囲気に惑わされたりすることもない。

家づくりのベースは、自分たち家族の現実の姿、毎日の生活にある。そこにしっかりと焦点を当てて、ありのままに見ることから始まる。

そんな家づくりのお手伝いは楽しい。

 

 

 

8.広々と暮らしたい それは 大きな家に住むことではない

 

家の広さは?

広い方が良いに決まっている。

しかし、そうとは言い切れない。最近は広すぎて、もてあましているという例も少なくはない。大人数の家族で暮らしていたが、現在は一人暮らしなどという方も多くいる。

広々ゆったり暮らしたいという思いは共通であろうが、それと家の物理的広さが正比例するわけではない。

建築面積は大きいのに、なぜか狭苦しいという家もある。むしろ、そう感じる家の方が多いのかもしれない。そうなると建築面積と生活のゆとり感は関係が薄いとも思えてしまう。

 

広い家に住みたいと願っている方はたくさんいると思うが、それは物理的に大きな家が欲しいと言うことではなく、毎日の暮らしが広々と豊かにゆったりと暮らしたいという思いであろう。

家づくりで難しいこと熟慮しなければならないことの一つに、時間の経過と共に一緒に暮らす家族の人数が変化してしまうということがある。

家を建てたときは中学生だった子供が、10年も経てば成人して家を離れてしまうかも知れないし、同居していた両親が他界しているかもしれない。

その時に子供部屋や両親の部屋が使われないまま残され納戸化してしまっている家も数多い。昼間でも雨戸は閉じられ暗いままの個室が家の中にいくつもある、そんな寂しい光景も増えている。

一般的に言えば、子供を育てている間は狭くて困ると感じ、子供が独立してからは逆に使わない部屋ができ、もてあましているという光景であろう。

 

そうした時間の経過にともなう生活の変化に家が対応できなければ、家の耐用年数は短くなってしまう。現に日本の家の多くは、築25年位で建て替えられているという公的データもあった。25年や30年位で家が建て替えられてしまうのは余りにもったいない。

注文住宅であるならば、その気になれば100年でも200年でも住み継ぐことできるのが望ましい。

そのためには、最低次の三つの要素が必要だ。

暮らしの変化、住む家族の人数の変化に対応できる柔軟な間取り。

雨が多く湿度の高い期間が長いという日本の気候特性に対応できる家の建て方。

時間の経過に伴って必要となるメンテナンスがスムースにできる家のあり方。

そんな家づくりを40年近く追求してきた。

それがPAC住宅に集約されている。

 

 

 

9.暖かい家に住みたい でも 夏も暑いのは嫌だ

 

冬は暖かい、夏は涼しい、そんな家に暮らしたい。至極当たり前のことだと思う。

昔の日本の家は、夏は涼しいが冬はとても寒かった。現代の高気密高断熱の家は、冬は暖かくなったが夏は暑くなってしまった。

また、暖かいとか涼しいは感覚に由来することなので、言葉でどんな感じなのかを表現することは難しい。人によって感じ方も違う。その時の体調によっても感じ方は変わる。

自然の中の気持ちいい暖かさや涼しさと、機械による人工的な暖かさ涼しさもある。

そうした中で、現代の家に求められる暖かさと涼しさを考えてみたい。

家は住む人にとっての器。

その器を住みやすい暮らしやすい環境に整えるのが家づくりの技術だと思う。その技術も様々あるが、ここでは暖かさと涼しさについて考えてみたい。

暖かく感じる涼しく感じる、それはとても個人差が大きい。それでも言えることは、暖かく感じる涼しく感じると言うことは相対的なことである。

とても寒い外から家に入れば、暖かく感じるし暑くすら感じてしまうこともある。逆に、暑い外部から家に入れば涼しく感じてしまう。それでもしばらく家の中にいると、やっぱり寒く感じたり暑く感じたりする。

暖かい涼しいは、人間のその時の状態でも大きく変化してしまう、何とも曖昧な感覚だ。その曖昧さをベースにするならば、家という器の暖かさや涼しさにはいくつかのキーワードがありそうだ。基本的なことを並べてみる。

 

「やりすぎない」

機械で家の中を暑くも寒くもできる時代だ。暖かくしすぎない涼しくしすぎない、という自制が求められる。

「差をつけない」

暖かさ寒さが相対的に感じるのであれば、家という同じ器の中は温度差を極力つけないで同じような温度環境にする。

「自分自身を調整」

家族と雖も体感や感覚は異なる。家という器の温度調整にすべてを頼るのではなく、着衣などで自己調整する。

「自然の暖かさ涼しさ」

機械による強制的な暖かさ涼しさではなく、自然の暖かさ涼しさを求める。

 

そんな暖かさ涼しさを追求してきたのがPAC住宅だ。

 

 

 

10.暖かい家 それってどんな家

 

家族の温度感覚はずいぶんと違うし、その時の体調などによっても同じ温度でも感じ方はかなり違う。こんなことを考えると、こういう家が快適で暖かい家と言い切ることはできないのではと思ってしまう。

家族全員が心地よく暖かく感じる、そのためには家の機能だけではなく個々人の心構えやちょっとした努力も求められるのだと思う。

寒く感じる、そんな時には靴下を履くとか一枚余分に着るとか、逆に暑く感じる時は、一枚脱ぐとか半そでにするなど、個々人が一手間かけることが重要なことだ。

そんなちょっとした個々人の手間で、それぞれが快適に暖かく暮らせる「ベース基地」それが暖かい家と言えるのではないだろうか。

PAC住宅はそうした「ベース基地」を提供している。

簡単にその特徴を述べてみる。

「やりすぎない」

「差をつけない」

「自然の暖かさ」

と前回にふれた要素を備えている。

 

太陽光は住宅の屋根や壁にも降り注ぐ。その光は当たっている屋根面と壁面で熱となる。その太陽熱を屋根面と壁面の裏側で、「流れる空気」にのせて建物内に取り込む工夫をしている。機械設備を使わないパッシブなソーラーハウスだ。

その太陽熱で暖められた「流れる空気」はすべての部屋の裏側すなわち取り囲む空間それは天井裏、壁の中そして床下の空間に自然に流れる。

その「流れる空気」は、天井面・壁面・床面など部屋を取り囲む面を暖かくする。そして建物内すべてに及ぶので、建物内のすべての天井面・壁面・床面の温度は均等に暖められることになる。

「差をつけない」ということだ。

また同時に太陽光が熱源で集熱面が屋根と壁であり「流れる空気」で部屋の周りに運ばれるので、暖かすぎて困るという程にはならない。

「やりすぎない」結果になる。

それは当然に穏やかな温熱環境をもたらすので、機械による強制的な暖房とは異なり「自然の暖かさ」を醸し出している。

こうした健康的な自然の暖かさは、温度の要素ばかりではなく、湿度の要素もとても大きい。大切なことなのでそれは回を改めてふれてみたい。

 

 

11.涼しい家 涼しいと言っても

 

このご時世なかなか快適に涼しい家をつくるのは難しい。

クーラー頼みでは涼しいと言うより寒さを感じてしまうし、なんと言ってもクーラーからの風を直接受けるのは不快感が大きい。

住宅の断熱化が進むにつれて、夏、室内は暑くなってきた。

家を断熱することで建物の中の熱を外に逃がさないようになった。冬は室内の熱が逃げにくいので暖かくはなったが、夏は室内にこもった熱が逃げにくいのは困る。今の家は夏確実に暑くなっている。

健康で快適な涼しさ、無理のない自然の涼しさを住宅に求めたいが、それはどんな涼しさであろうか。

その理想の涼しさのヒントはやはり自然界にある。

「木陰の涼しさ」だ。直射日光が当たらないで涼しい爽やかな風がそよいでいる木陰は気持ちいい。そんな「木陰の涼しさ」が住宅に得られたら最高だ。

 

その「木陰の涼しさ」を分析してみた。4つの要素が考えられる。

① まず直射日光が当たらないこと。

② 次に適度な風があること。

③ 木の根元の地面が冷えていること。

④ そして湿度が低いこと。

この四つの条件がバランスよく整った時に、木陰は最高の居場所となる。

 

それであるならば、この四つの要素を建物内に取り入れることができれば、健康で快適な「木陰の涼しさ」を住空間に実現できることになる。

PAC住宅は次のようにそれを実現している。

① 直射日光や照り返しが入る窓の対策。その大原則は窓の外側で日射遮蔽すること。

② 自然の風が通り抜けやすい間取りにすること。

③ 床面・壁面・天井面の温度を下げること。そのために夜間の外冷気を利用。

④ 湿度を調整できる材をつかうこと。

この四つの建築的手法に加えて設備を上手に使うこと。

それは

① クーラーは冷やすためではなく除湿のために使う。

② 自然の風に近い1/fのゆらぎのある扇風機やシーリングなどを使う。

こうした工夫を重ねれば「木陰の涼しさ」を住空間に実現できる。そうした家づくりを40年近く続けてきた。

 

 

 

12.湿気っている? 乾燥している?

 

健康で快適な住空間を実現するのには、湿気の問題を避けてはできない。温度よりもむしろ重要な要素と言える。

乾燥しすぎも湿度が高いのもどちらも快適ではないし健康的な住環境とは言えない。

湿度を調整するのに加湿器や除湿機そしてエアコンなどを使用することもできるが、機械に頼る前に、住空間そのものでできる限りのことは工夫してみたい。

それを実現するヒントは昔の建物にある。

「太い無垢の木や厚い無垢の板」

「土壁」

「漆喰」

そして「田の字間取り」と「真壁」や「石場建て」

にある。

いずれも湿度調整能力に優れている。居住空間の水蒸気が多い時は「無垢の木や板・土壁・漆喰」など建物を構成する材料が空気中の湿気を吸い保持し、室内の湿度を低下させる。乾燥してくると材料内に取り込んだ湿気を放出して室内の湿度を上昇させ、室内の湿度を安定させる働きをしている。

また「田の字間取り」はふすま等で仕切られているだけなので、開ければ空間全体がつながり風通しもよく、建物内の湿気も一所に留まることなく全体に分散され湿気の害を防いでいた。

PAC住宅の特徴は「流れる空気にふれさせる」ことで、建物内の温熱環境を自然のエネルギーで整えることにある。これは「田の字間取り」と「真壁」や「石場建て」に匹敵する。

さすがに「土壁」ではないが、調湿機能という意味ではそれに匹敵できる性能を持つ特別な石膏ボードを床・壁・天井の下地に採用している。

もちろん無垢の木材を使っているし、漆喰もケミカルの糊ではなく海草糊を使用する本物の漆喰だ。

また、昔の建物にはないPAC住宅の湿気対策として、冬は床下空間や壁内そして天井裏空間を太陽熱と「流れる空気」で均一に暖めて相対湿度を低下させるという独自の特性がある。

すこし分りにくいことかも知れないが、空間の相対湿度は温度が上昇すると低下する、すなわち乾燥するという特性を上手に使った建築的手法である。

こうして工法や間取りそして材料の工夫で、湿度対策をしているのがPAC住宅である。

 

 

 

13.見えないところは見ない?  考えない? どうでもいい?

 

健康な住宅を得ようと思うならば、見えないところをきちっとつくることが大切になる。当たり前のことだが、臭いものには蓋では後で後悔するだけだ。

住宅は完成してしまうと見えている所は少なくなる。見えていない所が実に多い。

例えば、床下空間・壁の中・天井裏の空間はその代表だし、その空間の中に隠れてしまう土台や柱・梁などの木材も見えない。

屋根・壁・床などの下地材も見えない。細かく言えば、釘やビスも見えないし、接着剤も見えない。

基礎や配管そして電気配線の様子も見えない。断熱の仕方やその施工精度も見えない。

見えているのは、外観と室内から見る内観だけだ。

人間と同じと言える。

外見は化粧や着る物でいくらでも変えられる、ゴマカシもきく。

人間の健康を支えているのは見えないところだ。

骨・血管・神経・リンパ・内臓・筋肉・感覚器官もちろん脳も見えない。心や魂も直接的には見えない。

この見えない部分が健全に働きバランスがとれてこそ人間は健康でいられる。

そのためには心の持ち方・精神のあり方がきわめて重要になるが、食べ物もどうでもいいというわけにはいかない。農薬や化学物質の添加物だらけでは、いくら運動を毎日していても本当の健康はおぼつかない。

住宅もまったく同じだ。

住宅そのものに心はないが、建て主そして建築に関わる人間の心のあり方がとても重要になる。施主や建築人が本当に健康な住宅を求めているのかということだ。

技術が発達した現代では、建築に関わる材料のほとんどは化学物質の添加物が含まれている。防蟻・防腐という名前の農薬もある。

それを嫌う人も多い。そのために自然素材で住宅を建築することも難しい世の中ではなくなった。しかし自然素材を使うだけでは実は健康な住宅にはならない。

自然素材は水分に弱い。条件によってはかなり早く腐ってしまう。腐る前にカビやダニなども呼ぶ。

自然素材は生きているといっていい。生きているものは呼吸が必要だ。

寺社仏閣や民家は風通しもよく呼吸している家だったが、現代の家は密閉された家で呼吸はできない。これでは自然素材を使っても怖いばかりだ。

PAC住宅は「流れる空気にふれさせる」という大原則を打ちたて呼吸している家を完成させた。もう40年近く経つ。

 

 

 

14.注文住宅を建てるなら

 

「家は3度建てなければ自分の納得できるいい家はできない。」とよく言われるが、そんなわけにはいかないだろう。

ではどうしたら家族の満たされるいい家を建てることができるのだろうか。

真っ先に家族がまとまっていることが求められる。

家づくりに対する家族の考え方がばらばらではいい家など望むべくもない。

とはいえ、親と子の家に対する思いは一緒になることは少ないだろう。当然、親が中心となっていかなければいけない。

そのためには夫婦の家づくりへの思いが同じ方向性である必要がある。それがあっての家づくりだ。

そしてさらに人が絡む。

家づくりに携わる人はとても多い。この多くの人たちの家づくりへの思いはとても重要だ。

PAC住宅で追求している家づくりの基軸は「顔の見える関係」だ。

直接の担当でなくても、会社の社長の顔が見えますか。経理の人の顔はどうですか。

直接関係する人だけでも、営業は当たり前として、設計者、施工管理者、大工・左官などのメインの職人。こうした人たちの顔が見えてこそちゃんとしたいい家づくりになる。

さらに言えば木材などの材料を扱う人たちがいる。材料の顔と言うものもある。

事務的にビジネスライクにできないのが家づくりだ。

すでに出来上がっている完成品ではない。いわば見えないところからつくり上げていかなければならない。

「顔が見える」

それは単に物理的なことを言っているわけではない。

「家づくりに向ける思いだ」その思いが顔と言うものだ。

思いは顔に表れる。

注文住宅はプロセスが長い。その長いプロセスを支えるのが人間だ。関わる人全員がお互いに思いやれる関係が重要だ。その関係を「顔の見える関係」と言っている。

いい家をつくるには、いい技術・工法・材料そして熟練した腕など必要とされるものは多岐多様に亘り、そのすべてを建て主が見極めることは極めて難しいだろう。

この工務店で大丈夫だ。この工法がいい。この材料がいい。この職人がいい。それを建て主に分らせるのは、現場だ。

建築中の現場。完成現場。そして入居者の家。

そこで出会う人々。現場や家。それらを数多く見ていれば、直感が働くようになる。見る目が出来て来る。その手間を惜しまないで欲しい。

 

 

 

15.買い物のしやすい家

 

「買い物のしやすい家」って何だろう。

と自分でも思っている。買い物と家が直接関係しているのだろうか。

この題名は無意識で出た。

えっ、こんなテーマの題を書いている。と戸惑っている自分がいる。やめようかとも思ったが、自然にでたテーマには、何か無意識の見えないものが働いている。きっと意味があるのだろうと思い直し書き進めることにした。

買い物といってもいろいろだが、ここでは日常の暮らしの買い物を前提としている。

買い物と住まいの関係を考えると、動線、整理、保管、管理、廃棄という言葉が浮かんだ。

日常の暮らしの買い物の代表はなんと言っても食料品である。

毎日買いに出る方、週に一回まとめ買いする方、ネット利用の方など様々だ。食料品といってもかさばったり重かったりするものも多い。飲み物など箱買いしたりケース買いしたりすればなおさらだ。

台所に隣接した勝手口がある家は意外と少なく、玄関からの出入りが一般的であるので、玄関に重たい荷物が運び込まれることになる。玄関から台所や収納場所が離れていると、ここからも一仕事になる。

別動線として玄関から収納場所そこから台所につながるルートがあれば極めて便利で楽になりそうである。例えば配達された重い荷物は、直接、玄関に隣接する収納場所においてもらい、そこで開梱し整理できるし保管もその場所でできる。台所も隣なので極めて楽になる。自分で買い物してきたときも同じプロセスででき効率もいい。

その収納場所に荷物を広げ分別できるスペースと、それをわかりやすく保管できる棚があればいい。

荷物が送られてくればその後にはダンボールが残る。ダンボールの回収も週一回程度なので結構たまる。収納場所には、そのダンボールをためておく所があるといい。

キッチンの生ゴミも回収は週二回くらいだと思うので、それなりにたまってしまう。それを置いておく大型のゴミ箱もその収納場所にあれば便利だ。台所の隣なのでキッチンでのゴミを仕事の最後にまとめて置いておくことも簡単にできる。

また保管の仕方が悪いと、同じものを何度も買ってしまうというミスをしてしまう。日常で必要なものがどこにあるか一目でわかるようにしたい。

またきれいに生活するコツの一つは、物を収納する場所を生活空間とは別に設けることにもあるから、その収納場所を玄関に隣接してつくり、台所そしてリビングなどにつながる出入口があれば、とても便利で効率のいい、そしてきれいな毎日の生活が送れそうである。

玄関横の少し広めのマルチスペースを新築やリフォームの際に考えて欲しい。

 

 

 

16.自然光のあふれる家

 

日本人が家を建てる場合、風通しがいい家、日当たりがいい家が当然の要望としてあがる。しかし皮肉なことに、結果としては風通しも日当たりもよくない家が出来てしまうことが多い。

風通しの悪い家は、自然の光が行き届かない家でもある。

光はなかなかむずかしい。ただ明るければ良いわけでもないし、隅々まで均一に明るいだけでも落ち着くわけではない。

「明暗美」この美しさは日本の伝統美であろう。

縁側から畳の間に差し込む光そして影のコントラスト、この美しさに感動した方も多いであろう。また、民家の暗い通り土間その先のまばゆいばかりの光、これもまた懐かしく美しい光景である。これらは自然光の織りなすアートでもある。

人口の光、照明器具が発達したおかげで夜も明るくなり、またどこでも必要な光が得られるようになったが、一方で、心落ち着く自然光の明暗美は少なくなってしまったようだ。

べたな、のっぺりとした、ただ均一に明るいだけの空間になりがちだ。

照明のあり方、そして照明器具の使い方も本気で考えれば簡単ではないし、それなりのノウハウのいるものであるが、ここでは住宅と自然光について考えてみたい。

住まいの空間のどこにいっても自然光がさりげなくある。こんな空間をつくりたいものだが、現実は逆なことが多い。

その原因の多くは、ここでも「中廊下」だ。中廊下は「分断ゾーン」といえる。光を、風を、そして家族をも分断する。

中廊下がなければ自然光は空間全体に行き渡りやすい。そして空間にある柱や小壁そして家具などの影もでき自然な明暗もできる。

中廊下に頼らない間取りは、自然光を得るという意味でも必要なことだ。

同時に自然光のルートは階段空間や吹き抜けもある。階段や吹き抜けの設け方も重要な課題である。

さらに天窓。天窓は間取りのあり方と大いに関連するが、上手に使えばとても素晴らしい有効な手段となる。

現在検討している自然光を得る画期的な方法がある。

それは「光ダクト」。光ダクトは大型の建物や施設などには使用されてはいるが、住宅レベルでは無いに等しい。

二階の乗った北側のキッチンなど自然光が建築的にも得にくい場所に自然光を届ける手段として「光ダクト」の設計を工夫している。

今は試行錯誤の段階だが、現実化はそう遠くない。コストも余りかからずに自然光がさりげなく得られる方法だ。乞うご期待。

 

 

 

17.風通しのいい家を建てたかったのでは?

 

残念ながら今の家づくりのほとんどは風通しのいい家になっていない。

計画しているときは当然のごとく風通しのいい家を望んでいる方がほとんどなのだが、結果として風通しの悪い家になってしまっている。

家づくりは検討しなければいけないことが多岐に亘るので、いつの間にか風通しのことが頭から抜けてしまった結果ともいえるが、風通しの悪さは住み心地の悪さにもつながるし、なんと言っても健康な家から遠ざかってしまう。

風通しのいい悪いは、間取りによる。

前回の自然光のテーマでもふれたが、今回の風通しの悪さの主役もやはり「中廊下」だ。「中廊下」は風通しの「分断ゾーン」でもある。

当たり前のことだが、風は入る所と出る所が必要だ。例えば南の窓から風が入り室内空間を吹き抜けて北の窓から出て行く、こんなイメージだ。もし室内空間の中央に中廊下があれば風の流れはそこで阻害されてしまう。南の窓が大きく開いていても思いのほか風は流れなくなる。

風通しのいい家を望むのであれば、中廊下をつくらない、そんな間取りにする必要がある。戦後日本の間取りを表現する代名詞になったのが「何LDK」という言葉だ。

「何」は個室の数を表し、3LDKとか5LDKといった使い方をする。この間取りは必然的に個室を中廊下でつないでいく。

動線として中廊下があるのが当然の結果となった。

戦前の「家」という家族中心主義からの脱出。戦後は「個人」を大切とする考え方に大きくシフトした。その結果、間取りも畳の間が単純に連なっていた間取りから個室重視の「何LDK」へとシフトした。プライバシーを最も優先した結果の個室化だ。

しかし、家の中でのプライバシーは公共の場でのプライバシーとは異なる。

「見える」「聞こえる」「感じる」その感覚を大切にしたプライバシーが家庭内では重要なのではないだろうか。

そんな思いから長年提案しているPAC住宅の間取りが「広がり空間」である。

「程よいプライバシー」と家族の「さりげないふれあい」を両立できる間取りだ。この「広がり空間」は中廊下に頼らない手法なので、風通しの確保も極めて容易になる。

平面的な風通しばかりではなく、リビングの中の吹き抜けや階段空間、ロフトや天窓などを介して縦型の風通しも簡単に確保できる。

中廊下をつくらない広がり空間の間取りであれば、自然の風通しばかりか家族間の風通しも良くなり「顔の見える」ありがたさを存分に味わえる空間となる。

風通しのいい間取りは、家族が仲良く暮らせる間取りでもある。その広がり空間は融通性が高く少しの工夫で何十年という時間の経過にも追随できる間取りとも言える。

 

 

 

18.長持ちする家って?

 

家を建てるならば長く暮らせる家にしたい。そんな当たり前の希望を叶えることは逆に当たり前のことではないようだ。一般的に建ててしまうと、希望とは逆に長持ちとは縁遠い家になってしまうだろう。

「家が長持ちする」ということは二つの意味がある。

一つは物理的な意味で、腐らないで長く持つ「耐久性」があるという事。二つ目は毎日の生活が10年経っても20年経っても便利に、その時の状況に応じた暮らしができる「耐用性」があるということだろう。

この「耐久性」と「耐用性」の両方が実現できる家づくりがPAC住宅のテーマの一つだ。

「耐久性」は家の建て方と大いに関係し、「耐用性」は間取りのつくり方に深く関係している。

高気密高断熱という最近の家の建て方は、雨や湿度の高い日本の気候風土には適合していない。高気密高断熱の家は雨の少ない湿度の低い地域にこそ適したものだ。

住宅で最も腐って困るものは、家を支える骨組みだ。木造住宅で言えば、土台や柱・梁・桁やそれに付随する構造材である。これらの構造材は家が完成すると床下や壁の中、天井裏に隠れてしまい日常の生活ではその姿を見ることはない。それだけに気づいた時には腐れが相当に進行してしまった後ということも多い。

土台や柱などの木材は湿気が多いと腐朽菌が繁殖しやすくなる。一般的な高断熱住宅は壁の中などに隙間なく断熱材を詰め込む。柱などを断熱材で包んでしまうというイメージだ。入り込んだ湿気は抜けようがなくなる。その湿気が入らないようにと防湿シートでさらに包むそれが高気密ということだ。湿気は入れませんと言っているが現実問題として湿気が入り込まないということはない。恐ろしいことに知らん顔して、あるいは気づかないまま耐久性のなくなることをしている、そんなご時世だ。

そして間取り。前回にも触れたが、現代の一般的間取りである「何LDK」。複数の個室を中廊下でつなぐ間取りだ。

前回は中廊下で空間が分断されるため風通しが極めて悪くなってしまうという観点から追求した。今回は「耐用性」。時間の経過に負けずに生活に応じて長く使えるか。この観点からも「何LDK」の間取りは落第生であろう。

それはごく一般的な例えで十分ご理解いただけるであろう。子供が二人という前提で建てられるのは3LDK。夫婦の寝室と2つの子供部屋で3つの個室それにLDKという間取りだ。二人の子供が成長して家を出る、そのあとに残された個室が二つ。この二つの子供部屋はそのまま放置されるか納戸になってしまうのが大方の例である。

子供が結婚して同居するということになっても、3LDKの間取りのままでは暮らせない。

公的統計でも日本の住宅は25年位で建て替えられている。当然の結果であろう。

 

 

 

19.家族が仲良く暮らせる家って?

 

家を建てる、その前提は家族が仲良く暮らすこと。これを否定する方は少ないであろう。でも、家族が仲良く暮らすということはどういうことであろう。

夫婦単位で一般的に考えれば、結婚、出産、子育て、子供が独立という流れがある。

親との同居、二世帯、三世帯などもある。個別にふれて見ていけばきりのない話になってしまうが、家族が仲良く暮らすという意味では、共通した要素があると思える。

人間は一人では生きられないが、同時に、あまりにもベタベタした関係でも息苦しくうっとうしくなってしまう。

血のつながった関係も難しいが嫁姑のような血のつながりのない関係も大変だ。

人間関係の相性が極めてよければ、どんな関係でも結構乗り越えていけるだろうが、それでも長い年月でみれば大変なことに変わりはないだろう。

家づくりという観点で見れば、家族が仲良く暮らしていける大きな要素は二つだと思う。一つは家族の顔が見える、声が聞こえる、雰囲気を感じるなど家族との生活が実感できる家のつくり様が必要だ。

その一方、必要に応じて距離が取れることも同時に重要なことだ。

一見相反する要素にも思えるが、要は「つかず離れず」の距離感だ。この距離感は物理的な意味でも心理的な意味でも必要なことであろう。

もし家族がばらばらに暮らしたいのであれば、「何LDK」の間取りの家がいいだろう。中廊下に個室がつながるホテルのような空間づくりだからプライバシーのみを重視するならば重宝だ。

一方で昔の家のようにふすま戸一枚ですべての畳の間がつながっていくような、余りにも開放的でプライバシーの保てない家も現代人には向いていない。

家族は時間の経過とともに大きく変化していく。

子育て中、子供が独立、親と同居、いつしか一人暮らしとその変遷はかなりダイナミックだし、また家族によって内容も大きく異なる。

その時代の時々に応じて、家族に応じて、便利に暮らしていける融通性のある間取り、可変型の空間づくりであればいい。

それは状況に応じて、広くもなったり狭くもなったりできる間取り。個室にもより広い共用空間にもなる変化可能の空間づくり。

家族の顔が見える、声が聞こえる、雰囲気が感じられる。それでいて一人にもなれるプライバシーも確保できる間取り術だ。

PAC住宅は、それを「広がり空間」と名づけ40年近く追求し提案してきた。「つかず離れず」の家族関係が可能な間取りだ。それは温度や湿度、風通しといった温熱環境も同時によくする間取り術でもある。

 

 

 

20.夫婦の距離感は様々

 

家族の中心は夫婦だ。家づくりに置いても当然、夫婦関係が軸となる。夫婦が仲良ければ、子供との関係も、親との関係も良くなる。

現代では好き合って結婚するのが普通のことだから、いつまでも円満に仲良くいけるはずなのだが、現実はなかなか厳しい。

もともとは他人の二人。血のつながった家族ですら簡単にはいかないのだから、いくら愛し合った二人といえども、時間とともに隙間風が吹く。隙間風が強くなったり冷たくなったりすると別れの危機も大きくなる。

夫婦に関わらずどんな人間関係でも、人間である限り苦労するようになっている。それは私たち全員に与えられた貴重な学びのチャンスだ。

夫婦関係を家づくりの観点からだけ述べるのは不可能だしできるはずもない。しかし、家を学びの空間ととらえれば何かが見えてくる。

夫婦が学びやすい空間にすればいいのだろう。

では、学びやすい空間とは何か。

夫婦関係の危機。その原因は多種多様であろうが、単純化して言い切ってしまえば、冷静な会話もできない位の感情の行き違いに行き着くかもしれない。

出会いも喧嘩も別れも大いなる学びであるが、夫婦の間に誤解や行き違いその結果の感情のもつれそして別れ、など本心では望んでいなかった結論になってしまう例も少なくはない。

愛し合っている、求め合っている時は、暮らしている家がどんな間取りでも空間でもさして問題はないであろうが、たとえ誤解だとしても隙間風が吹きはじめた時は、家の空間のありようが大きな問題になるかもしれない。

その気になったら何日でも何週間でも何ヶ月でも、夫婦が顔を見ないでも暮らすことが可能であるような間取りは問題を拡大してしまうかもしれない。

一方で、ちょっとしたトラブルがあった時一人になれて頭を冷やせることのできる空間があるということも重要になる。

夫婦の顔が必ず見える、でも一人にもなれる。一見相反しているようにも思えるが、こうした両方の要素を可能とした間取り、それを「広がり空間」と称しているが、そんな間取りであれば、不自然ではない状況をつくり出せる。

どんな時でも、さりげないふれあい、自然な状況をかもし出してくれる空間。そんな「広がり空間」の間取りであれば、二人のちょっとした努力で、仲直りのチャンスは自然に訪れる。

家の空間のできることはそんなことでしかないが、ちょっとだけ気まずくなった二人にはそうしたチャンスがありがたいとも思える。